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再開の旅 2,500km・東北編(2012)

2012/06/07 0:27 に 寺内昇 が投稿   [ 2012/08/10 23:38 に更新しました ]
2012年6月7日(木)

私達の恩師・太田空真さんが、被災地である大船渡市、気仙沼市、大槌町、遠野市、花巻市などを案内してくださいました。
太田空真さんは、生活デザイン研究所(大阪府)の総合プロデューサーとして、様々な活動を行なっていらっしゃいます。作家として本を出版されたり(代表作・『人生最高のラブレター』)、NGOチーム3ミニッツの活動として、「ありがとうのはがき」の制作、被災地を応援する「笑顔の展覧会」を全国的に展開していらっしゃいます。


セロ弾きのゴーシュ@JR新花巻駅
近くに寄ると音楽が流れる「セロ弾きのゴーシュ」
@JR新花巻駅(撮影:2012年5月9日〜10日)


空真さんとの出会いは、7年前(2005年)、昇さんの仕事関係がご縁。2007年には、空真さんが6組の夫婦を取材して書かれた本『夫婦でありがとうといえる・幸せマネージメント』が上梓。私達は、取材をうけた夫婦の中の1組。取材対象となった他のご夫婦のご家族の皆さんと一緒に、奈良・明日香の旅を楽しみました。また、京都、沖縄などにも案内してくださいました。
今、私達が夫婦二人で時を共に過ごせるのも、当時、いろいろなことを教えて下さった、太田空真さんのお陰であると心から感謝いたしております。

空真さんとは、私達が北海道に移住して以来3年ぶりの再会です。
今回の旅の計画を立てているとき、突然、「夕べ、空真さんと再会している夢を見たよ」と昇さん。これは、神様からのお知らせだと思い、すぐに空真さんに電話しました。すると、「良い機会なので、被災地を案内しましょう。『笑顔の展覧会』活動で昨年から被災地には頻繁に通っていますから」と空真さんは、大阪から出向き被災地で再会することを約束してくださいました。

5月9日(水)、JR新花巻駅で待ち合わせ。陸前高田市、気仙沼市、大船渡市を訪問しました。
震災後、1年を経過したにも関わらず、痛々しく残されている傷跡。陸地に打ち上げられた大きな漁船、積み上げられた瓦礫や木材の山は、この街を襲った津波の高さと強さを物語っています。
ここが日本であるとは思えないような、目を疑う光景が続いていました。


MAIYA@陸前高田市   瓦礫で堤防づくり   MAIYA@陸前高田市
左:MAIYA(岩手県陸前高田市)    中:瓦礫で堤防づくり
右:330トンの漁船「第18共徳丸」(鹿折唐桑駅前バス停・気仙沼市)


そして、陸前高田市に入った時、目の前に現れた信じがたい光景、それは「奇跡の一本松」。
7万本もの松が波に飲み込まれたといわれている高田松原に、唯一残された奇跡の一本松です。
今では、海水に根をやられ、枯れて再生不能とされており、「こも」が巻かれていました。

枯れても尚、力の限りに天にそびえ立つ力強さに心打たれ、手を合わせて祈らずにいられませんでした。
この一本松の力強さは、苦しさを乗り越えて、この地で生きていく人々の力強さに重ねられていきました。


一本松@陸前高田市
奇跡の一本松(陸前高田市)


気仙沼横丁の復興屋台村には、ラーメン屋、飲み屋、八百屋などプレハブの仮設店舗が肩を並べています。
そこで働く人々のなんとも明るい声「まぁ!遠くから、ようこそいらっしゃいましたね!」

元気な掛け声に誘われて、入ったお店が「はまらん家」・・・
気仙沼風お好み焼き「はまらん焼き」です。
「はまらん」は、「浜(はま)」と「卵(らん)」を合わせた造語。
エビ、ホタテ、イカ等が入っていて、今川焼きのような形をしたお好み焼き。磯の香り漂う、とても美味しいはまらん焼き。 そして、似ている語呂の、「はまらいん」は、気仙沼の方言で「集まって」「仲間になろう」という意味です。
「仲間が集まって、みんなでがんばろう!」そんな力強い声が聞こえてくるような屋台村でした。


気仙沼横丁   気仙沼横丁   はまらん焼き
左・中:復興屋台村・気仙沼横丁(宮城県気仙沼市) 右:名物「はまらん焼き」


そして、空真さんが手配してくださったホテルが「大船渡プラザホテル」。
太平洋の海を目前に構え、10mを超える津波を真正面から受けた大船渡プラザホテル。甚大な被害を受けたにも関わらず、よくここまで立て直しをはかることができたことだと、言葉にならない感動が沸き起こってきました。


大船渡プラザホテル   ホテルの部屋から   小田和正ライブ
左:大船渡プラザホテル(岩手県大船渡市) 中:ホテルの窓から
右:市民のための小田和正ライブ(大船渡市民文化会館)


ホテルの周辺では、瓦礫が処分された更地に「おおふなと夢商店街」、「おおふなとプレハブ横丁」、「大船渡屋台村」などいくつもの仮設店舗が生まれ、復興の光が灯されていました。

空真さんが大船渡に来た時にいつも訪問されているという夢商店街のお店「やきとり香善」で夕食。
震災前には、大船渡プラザホテルの隣にお店を構えていたとのこと。まわりの人々の応援もあり、仮設店舗で営業を再開することができたそうです。ここまで立ち上がる努力は、想像を絶するものであったに違いありません。

マスターは、事故で体を不自由にされており、動かぬ手で鶏肉に串をさしていらっしゃいました。マスター、ママさんの明るさ・力強さに、そして千葉県からボランティで被災地を訪れ、今ではお店の看板娘となって働いているお嬢さんのひたむきさに、私達の方が逆にパワーを戴きました。

店には、次々とお客様が集まって来て、一杯飲みながらの陽気なお喋り。「今日の小田和正は最高だったよ!」と飛び交う感動の声。その日5月9日(水)には、地元・大船渡市民文化会館「リマスホール」で、地元の人々の為の「小田和正LIVE」(明治安田生命 Presents)が開催されたのです。美味しいお料理と楽しい会話、明るい笑い声に包まれて、あっという間に時が過ぎていきました。

ホテルの室内は、清潔でゆっくりと落ち着ける空間が広がり、ぐっすりと休むことができました。翌朝の朝食は、お惣菜の種類も豊富で、とても美味しかったです。


夢商店街の「焼き鳥・香善」(大船渡市)   復興の狼煙ポスタープロジェクト   大槌町北小福幸商店街
左:夢商店街の「やきとり香善」(大船渡市) 中:復興の狼煙ポスタープロジェクト
右:大槌町北小福幸商店街「福幸きらり商店街」(岩手県大槌町)


ホテルを出発して私達が訪れた所は、被災した大槌北小学校のグラウンドにオープンした仮設商店街「福幸きらり商店街」(参照:東北復興新聞)。食品スーパー、美容院、電気屋、焼き鳥屋、ラーメン屋、TSUTAYA、ほっかほか亭等々。こうした集える場所には、あたたかな空気が流れていて、繋がりの復旧が、少しずつ進んでいるように感じられました。

次に向かった場所は、大槌町の仮設団地。安渡地区には、小学校や中学校のグランド跡に、かなりの数の仮設住宅が建てられていました。仮設住宅に隣接して広がる畑、そして咲き誇る色とりどりのチューリップは、心癒される風景です。

そして、ここ大槌町で誕生した「安渡産大槌復興米」奇跡の物語。

震災から7ヶ月過ぎた昨年の10月中旬、安渡地区出身で小槌の仮設にお住まいの菊池妙さん(71歳)が、津波で流された自宅跡を訪れたとき、玄関脇でふと目にとまった3株の稲穂。
「なんでここに稲が!!!背が低く痩せこけていましたが、果敢に実る稲穂の姿は、凛としていましたよ」と妙さんは、とめどなく流れる涙を拭いながら、その時の感動を語っていらっしゃったそうです。

妙さんの住宅の周辺には、田圃はなく、どこかの田圃から流されてきたと考えられます。玄関脇の土地に稲穂が実ったのは、まさに奇跡との言える出来事。この黄金の稲穂は、「安渡産大槌復興米」と名付けられ、「遠野まごころネット」スタッフほか、多くの協力者が加わって、大切に育てられているそうです(出典:『笑顔のキップ』)。

私達が訪問したとき、100粒の種籾が蒔かれた育苗箱には、10cm程の青々とした苗が、立派に育っていました。

「まごころの郷」という名の復興畑には、ひょこりひょうたん島を型どった小さな、可愛い水田が作られました。
20日後の5月26日(土)、あたたかな陽気を浴びながら、可愛い水田に、妙さんをはじめ、地域の方々およそ25名が集まり、「安渡産大槌復興米」の田植え式が行なわれました。皆さんの力と心が、偉大なエネルギーとなって漲る、命のシンボルとも言える復興米。健やかなる実りを心からお祈りいたしております(出典:遠野まごころネット・記事)。


まごごろの郷(大槌町)   安渡復興米の苗床   安渡復興米の苗
左:まごごろの郷(大槌町) 中:安渡復興米の苗床 右:安渡復興米の苗(大槌町)


感動冷めやまぬまま、遠野へと移動。民話と伝説の里・遠野。
「遠野」と聞いて思い浮かぶ言葉、遠野物語、語り部、かっぱ、どぶろく、わさびなどなど。
「むがす あったずもな」で始まり「どんどはれ」で終わる遠野の昔話、やわらかな方言で語る語り部の声が聞こえてくるようです。

遠野地方の農家のかつての生活様式を再現した野外博物館「遠野伝承園」では、遠野の自然と共に生きた人々の暮らしを垣間みることができました。いつか再び、ゆっくりと訪れてみたい町です。

そして、伝承園の食事処で昼食。遠野の郷土料理とされる「ひっつみ」を戴きました。「ひっつみ」とは、練った小麦粉を手で引きちぎって鍋に入れることから名づけられた、「すいとん」のような料理。遠野地鶏でだしをとり、地鶏、干し椎茸、ネギなどがはいった味噌汁です。懐かしい素朴な味わいで、とても美味しかったです。
そして最終地点の花巻市へと向かいました。

被災地となった幾つもの町を巡った2日間。中身の濃い、驚きと感動に満ちた2日間でした。
空真さんとご一緒していなければ、味わうことのできない貴重な体験の数々。
目の手術を控えての大切な時間をとって戴いたことを、心より感謝し、深く御礼申し上げます。
ありがとうございました。空真さんの目のご回復とご健康を心よりお祈り申し上げます。


ひっつみ@伝承園(遠野市)   遠野物語の語り部   水車小屋@伝承園
左:ひっつみ@伝承園(遠野市) 中:遠野物語の語り部 右:水車小屋@伝承園


いかなる困難にも、果敢に立ち向かっていく勇気

倒れても、倒れても、底から沸き起こってくる力強さ

支え合い、励まし合い、育んでいく、命の偉大なるエネルギーに

無限の愛と感謝と笑顔をこめて。。。


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◇ いくこ&のぼる


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